猫の思い出‥祖父の1周忌に現れたミーコちゃんが95歳の祖母を洗脳

ご縁があった猫達の思い出話を綴りますね。今日は祖母を洗脳した「ミーコちゃん」のお話です。

頑固な祖母と三毛仔猫の出会い

私の母方の親戚はほぼ全員『猫派』です。

でも祖母はド田舎の昔の人なので、「猫はネズミを捕るための家畜」ぐらいの認識で、娘や孫たちがそれぞれの愛猫をそれこそ猫可愛がりするのが理解できないようでした。

もう10年以上前の夏。祖父の1周忌が終わり、集まった親戚たちは祖母宅で茶飲み話に興じていました。

その頃の私は、はなちゃんをどこへでも連れて行っていたので、はなちゃんも祖母宅でまったりとくつろいでました。

 

その頃のはなちゃん↓若かったなぁ‥

 

すると、どこからともなく猫の鳴き声がけたたましく響き渡ります。はなちゃんが鳴いているのかと思ったら、はなちゃんも怪訝そうに辺りを見まわしていました。

家の中をチェックしていくと、今はあまり使われていない離れの方に1匹の痩せこけた三毛猫が必死で鳴いているのです。まだ仔猫でした。

ド田舎だから野良猫なんてあまりいないのにどこの猫だろう。親猫とはぐれたのかな?でも明らかに野良の風情だし‥。

しばらくしたらいなくなるだろう‥と、母や私、叔母達は様子を見ることにしました。ちなみに祖母は猫のことなんて気にもせずにテレビの中の氷川きよしに夢中です。

でも夜になっても三毛仔猫はウロウロしたまま。次の日もまた離れの横で鳴き始めています。

祖母と三毛仔猫との攻防

三毛仔猫は持久戦に持ち込んだ様子でした。気になって様子をうかがう私たちに精いっぱいの鳴き声でアピールします。その細い身体からどうやったらそんな大きな声が出るんだ?

その戦いに最初に負けたのは私でした。

『餌付けすなっちゃ。居着くと困るんじゃ』

祖母の声を無視して持っていたはなちゃんのキャットフードを与えると、すごい勢いで食べ始めました。そして何度もお代わりを要求。誇張なしで、はなちゃんの1週間分のフードを平らげたのです。

『野良猫の食欲ってそんなもんで。今度いつ食べられるか分からんのやから』

猫に一番詳しい叔母がしたり顔に頷きます。(以後、猫ばぁと表記)

満腹になったらしい三毛仔猫は、今度は私達に精いっぱいのアピール。身体全体でゴロゴロ言いながら、そこにいた人間ひとりひとりの足元にすりより、撫でられると手を一生懸命舐めてくれます。

そこにいた人間は祖母以外はNNN(※)の支配下に置かれているので、三毛仔猫にもうメロメロ。

※NNNとは、ネット上で噂されている猫の秘密結社

さすが祖母だけは足にすり寄られても邪険に振り払います。

『来なっちゃ!出て行きんしゃい!』

ちなみにはなちゃんは、この様子を興味深そうに観察していたけど、三毛仔猫ははなちゃんの存在はガン無視。 ターゲットはあくまで人間のみ。

さっき食べたのはなちゃんのご飯やで‥

NNN手下の三毛仔猫援護

私達は祖母の説得を始めました。

  • どこかの猫が迷い込んだだけかもしれないからとりあえず保護しよう
  • この執着具合はおじいちゃんの生まれ変わりちゃうか?
  • 独り暮らしで寂しいんだから、猫の1匹くらい居たほういい

思いつく限りの理由を述べたけど、祖母は頑固婆です。

『猫なんぞいらんちゃ』

『川に捨ててこい』

『こげな猫は近所にはおらんかった』

そうなんですよね。近所と言っても世帯数の少ない田舎だから、誰がどんな猫飼っているかって耳に入ってくるはずなんです。でもそんな話は聞かない。

三毛仔猫、どこから来たんだろう…。やっぱりお祖父ちゃんじゃない?メスだけど。

業を煮やした母と私が、『わかった!そんなにイヤなら仕方ない。はなちゃんと一緒に連れて帰ってウチの子にする』と宣言

するとどうしたことでしょう。急に祖母の様子が軟化して『‥わざわざ遠いところまで連れて帰らんでもええ。とりあえず外にエサだけ置くようにしてやる。そのうちどっかいくじゃろ』

三毛仔猫を家に置くことだけは納得したのです。今考えても不思議です。

三毛仔猫、ミーコちゃんと命名

そうと決まれば名前を決めないと!

『お祖父ちゃんの生まれ変わりかもだから名前をもじって「テッチャン(仮名)」とかどう?』と、祖母以外はテッチャン押しでしたが、

『そげな名前嫌じゃ。ミーコちゃんでいい』

祖母のひと声で三毛仔猫の名前はミーコちゃんに決定。

  1. おじいさんの名前を猫なんぞにつけられるかっ!
  2. わがままだったおじいさんの名前で世話したくないわ‥

テッチャンを嫌がった祖母の心中は計り知れませんが、私は2番目じゃないかなと思っています。いい祖父だったけど怒りっぽいとこもあったからね。

で、猫ばぁ(祖母の近所に住んでる)以外の私を含む親戚たちは田舎を去りました。

再会は3カ月後の秋祭り。そこで私たちは変わり果てたミーコちゃんと祖母を見たのでした。

変わり果てた祖母とミーコちゃん

祖母がミーコちゃんと暮らし始めて3か月後の秋祭り、私を含む親戚たちが祖母宅に集まりました。

そこで私たちが見たのは、見事なまでにミーコちゃん、いやNNNに洗脳されている祖母の変わり果てた姿でした。

常にミーコちゃんを膝の上で抱き続け、チュッチュッし続けています。

『ミーコちゃん、ミーコちゃん可愛い。可愛いなぁ』

『………』←私達。

だって、『こげな猫いらん!』だの『川に流せ!』だの『居着くと困る』だのってミーコちゃんを足蹴にしていた祖母がですよ?いったい何があったん?この変わりよう…

唯一事情を知る猫ばぁがヤレヤレ顔で状況説明してくれました。

『飼い始めてから、すぐこうなったで』

『寝る時はもちろん腕枕』

『口を開けばミーコちゃんの話ばかり』

1週間に1度猫ばぁの家に泊まりに行ってた祖母は、ミーコちゃんが可哀そうだからと家を離れなくなったそうです。

そして、あれだけ人懐こかったミーコちゃんが、祖母以外の人間には見向きもしないようになりました。祖母にだけベッタリで私達はアウトオブ眼中。

あの必死の甘えアピールは生存本能だったのでしょうか。ラスボスの祖母を籠絡できたら私達には用はないってことでしょうか。

祖父が逝ってからなんとなく元気がなかった祖母も、ミーコちゃんとの暮らしで元気を取り戻しました。私はNNNがミーコちゃんを祖母のもとへ派遣したと信じています。

ミーコちゃん

※ミーコちゃんの写真が手元になくて、フリー画像から拝借しました。大体こんな感じの三毛ちゃんでした。

その後の祖母とミーコちゃん

5年程経ってミーコちゃんは虹の橋へ行ったそうです。行ったそう…というのは、行方が分からなくなったのです。

ミーコちゃんは祖母宅へ来た時にはもう猫エイズに感染していました。最期は口内炎が出来てご飯が食べられなくなり、獣医に行って注射をしてもらっては持ち直すの繰り返しでした。

完全室内飼いじゃない猫は、死期が近づくと姿を消すと昔から言われています。祖母も猫ばぁも探し回りましたが見つかりませんでした。

最期が看取られないのは可哀そうだと思います。完全室内飼いがいいのはわかっています。私もはなちゃんは決して外に出しません。

でも、ミーコちゃんにとっては、あの田舎の家で祖母に慈しまれながら自由に過ごせたのは幸せだったと信じています。たとえ短い命だったとしても。

そしてあの田舎の家のだだっ広い敷地のどこかに眠っているとも信じています。

祖母は90歳半ばを過ぎていますが、あの家でひとり暮らしを続けています。ミーコちゃんが居なくなってから、猫ばぁが違う猫を連れてこようとしたけど、『もう飼わん‥』と断ったそうです。

でも相変わらず猫は大好きで、猫ばぁが買ってきた猫のぬいぐるみを片時も離さず抱いているし、ひい孫たちがプレゼントした猫のぬいぐるみも身の回りにおいています。

猫のいるデイサービスに週2回いそいそと通って、年齢のわりに元気です。もちろん近居の猫ばぁが介護に通っているからなんだけど。

ミーコちゃんは私の人生の中で忘れられない猫の一匹です。思い出話を長々と読んでくださりありがとうございました。