北区の田んぼの真ん中にある『新兵衛石』。
今でも丁寧にお掃除などされていて地域の方に愛されているんだなぁと実感します。
新兵衛石の伝説をザクっとまとめ
新兵衛石の伝説の要約
- 今の神戸市北区山田町福地のあたりに新兵衛石という大きな石がある
- 300年くらい前、庄屋の息子で15歳の新兵衛がこの石の後ろに隠れて、領主の一行を待ち伏せしていた
- 年貢の負担を減らしてくれという直訴だった
- 直訴は大罪だったが、領主は年若い新兵衛の勇気に感動して、新兵衛の罪を許した上に年貢も軽くしてくれたという
新兵衛石の伝説のインスタ版紙芝居
新兵衛石伝説の史跡
新兵衛石
↓無動寺への登り口の道端に新兵衛石はある。
↓周りは田んぼや畑や農家ばかり。↓
↓こうやったら大きく見えるけど、15歳の男の子が隠れるには小さいような気がする。
↓昭和12年の新兵衛石の謂れの石板。何が書いてあるかさっぱりわからない。
↓読みやすい説明板もあります。多分、上の石板との内容と同じ。
新兵衛石伝説をくわしく解説
いつ頃の話?
1770年だから、10代将軍家治のお話やね。
史実なん?
うーん。どうやろ?ちょっと調べた限りではわからなかったわ。
領主ってこのあたりの人?
領主は今の茨城県の古河藩の人みたいやね。お大名だから日本全国色んな所に領地があったんやろね。
古河藩主土井大炊頭って誰?
土井家って確か徳川譜代の大名で名家ですよね。古河藩の土井家もその流れを汲んでいたと思います。
ウィキで調べたらすぐに誰かわかるぞ!‥と思ってたのですが、どうも上手く当てはまりません。
1770年頃の古河藩主の官職は大炊頭じゃないんですよね。
古川藩主で大炊頭の人は土井利則(どい としのり)さんですが、この人、生まれが1831年で藩主になったのは1848年なので、新兵衛石の1770年よりはかなり後の人です。
史実としては辻褄があわないので、伝説として残っているのでしょうか。
直訴は死に値する大罪?
直訴=死罪という認識がわりと広まっているようだけど、実はそんなでもなくて『ちゃんと筋を通して訴えるように』という口頭注意の場合がほとんどだったようです。(これもwikiの受け売り)
だから新兵衛が捕まって下総古河藩主土井大炊頭が滞在している有馬温泉の宿まで連行された‥というのも、尾ひれがついた話だったのかもしれません。
新兵衛石に人は隠れられるのか
新兵衛石を実際に見てみると、思っている以上に小さいですw
2~3歳の子どもなら隠れられるかもしれないけど、15歳の男子が隠れるのは無理があるかも。
この伝説のキモは、
- 弱冠15歳の男の子
- 村のために身を顧みず行動
- それを粋に感じた領主の恩情
これら3つの要素でしょう。
史実というよりは「ちょっといい話」の都市伝説のようなものだったのかも‥と想像しています。
この記事の参考文献
この記事を書くために参考にした本はこちらです。
新兵衛石伝説地への行き方
場所 | 田んぼに囲まれた道に佇む |
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住所 | 〒651-1254 兵庫県神戸市北区山田町福地 |
地図 | |
アクセス | 神戸電鉄箕谷駅から市バス111系統「衝原」行きに乗車
福地で下車して徒歩4分 |
駐車場 | 近くにコインパーキングは皆無です。
車で行くなら、新神戸トンネル入り口近くのスーパー「マルハチ」提携の駐車場に停めて徒歩30分程が最短かも。1時間無料です。 |