生田神社にはたくさんの伝説があります。
今回は梅の香りを漂わせながら死闘を繰り広げる武士の伝説を紹介しますね。
源平合戦の伝説です。
源氏の河原兄弟が突破口を開いた、生田の森の戦いの少し後のお話です。
箙の梅と梶原の井伝説をザクっとまとめ
箙の梅伝説の要約
- 1000年ほど前、生田神社の神主の海上(うながみ)氏がとても香りのよい梅の木を境内に植えた。
- 800年ほど前の寿永3年2月の生田の森の戦いで、あの梶原景時(かじわらのかげとき)の息子、梶原景季(かじわらのかげすえ)が、その梅の枝を箙(えびら)にさして戦った。
- 平家の武者もその風情を褒めたたえた。
箙の梅と梶原の井伝説の史跡
箙の梅
↓えびらの梅。紅梅も白梅もあります。
どうみても1000年以上前の古木には見えないですね。でもすごく良い香りがしました。
↓紅梅。
↓白梅
梶原の井
梶原景季が箙に梅の枝をさした自分の姿を水面に映した井戸。
その水を生田神社の神前に供えて武運を祈りました。昔の戦いってなんだか優雅ですね。
しっかり蓋がしてあるので、今も水があるのかどうかわかりません。
箙の梅と梶原の井伝説をくわしく解説
※画像はWikipediaよりお借りしました
箙に梅をさして戦った梶原景季ってどんな人?
梶原景季は源氏の武士です。寿永3年2月の源平合戦時はまだとても若かったはず。
梅の枝と共に戦う風流な人だったのですね。
そしてあの梶原景時の息子なんです
義経の仇敵・梶原景時の息子
梶原景時って源義経の仇敵で有名な人です。
源義経は源氏の総大将である源頼朝の弟で天才軍師でした。
鵯の逆落としで名を上げて、この後の屋島、壇ノ浦合戦で平家をうち滅ぼした一番の功労者です。
でも梶原景時とソリが合わなかったのでしょうね。
梶原景時は、頼朝に義経の悪い報告をしまくった‥と伝えられています。
そのせいかどうかはわかりませんが、頼朝は義経を滅ぼしました。
長年の義経贔屓のわたしは梶原景時のことが大嫌いだったので、『あの梶原景時の息子』と書きました。
でも平家物語では、この生田の森の戦いでの梶原親子の親子愛を描いています。
若い息子を気遣う父親としての梶原景時は、人間味と情愛にあふれていて嫌な人物には思えません。
まあ立ち位置が変われば正義は変わりますものね。
梶原親子のその後
梶原親子は源平合戦を生き抜き、鎌倉幕府の御家人として出世しています。
頼朝が落馬して亡くなった後は他の御家人たちから追放され、そして滅んでしまいます。
まさに諸行無常。
箙の梅と梶原の井伝説についてのまとめ
梅の香りを漂わせながら戦う武士ってどこかロマンチックな感じがします。
生田の森は源平合戦のたくさんの伝説にあふれているのでおススメですよ。
この記事の参考文献
この記事を書くために参考にした本はこちらです。
箙の梅と梶原の井伝説地への行き方
場所 | 生田神社 |
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住所 | 〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2−1 |
地図 | |
アクセス | 【車】
阪神高速道路3号神戸線生田川ICまたは京橋ICより約5分 【電車】
【飛行機】
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駐車場 | 生田神社付属の駐車場があります。近くにもコインパーキングはたくさんあります。下記に詳しく書いています♪ |
生田神社駐車場
最初の1時間500円。
以降10分毎100円
このあたりの駐車料金の相場ですね。探せばもっと安いコインパーキングはありますが、ちょっと遠かったり、収容台数が少なかったりで確実とは言えません。
生田神社の駐車場は収容台数も多く、当然生田神社のすぐ近くなので一番便利です。そして生田神社は三宮のど真ん中にあるので、拠点としても便利かも。