東灘区の御影塚町に「処女塚」というちょっとドキッとする交差点名があります。
これはすぐ横にある処女塚古墳からの名前で、この古墳には遥か昔からの『恋にまつわる伝説』があるのです。
菟原処女の伝説をザクっとまとめ
- 1,300年ほど前、芦屋の菟原処女(うないおとめ)という美少女をめぐって、菟原壮士(うないおとこ)と血沼壮士(ちぬおとこ)という男子2人が、刃傷沙汰の大喧嘩。
- 思い悩んだ菟原処女は自死。男子2人も競うように後を追って自死。
- 遺族は3人の若者の死を悼み3つの塚を築いた。真ん中が菟原処女の『処女塚』、東に『東求女塚』、西に『西求女塚』‥と言い伝えられている。
菟原処女伝説のインスタ版紙芝居
菟原処女伝説の史跡
処女塚古墳の場所
菟原処女が葬られたとされる処女塚古墳は、国道43号線から県道95号線を北上してすぐ東側にあります。
交差点名にも使われている由緒正しさ?↓
処女塚古墳のすぐ北側にはこんな道標もあります↓
大昔からの観光名所だったんですね。
大昔からの有名な観光名所だっただけに、名前を騙られたりもしています↓
処女塚古墳はどんなとこ?
処女塚古墳は整備された公園のようになっています。
↓大正12年に建てられた石碑。
処女塚古墳についての説明碑がありますが、ちょっと読みにくいですね。宮崎辰雄市長の名前が刻まれています。
処女塚古墳の入り口。階段を上っていきます。
階段を上がりきると長方形の広場にでます。ここが2階部分?
さらに階段があります。
3階が頂上です。ここも四角形の広場です。
処女塚古墳は前方後方墳で四角が基調なんですね。
全部あわせてもそれほど広くはありません。垂水区の五色塚古墳よりもかなり小規模です。
処女塚古墳の形
処女塚古墳は何も思わずに探索すると、『変わったつくりの公園だなぁ』くらいにしか思いませんが、古墳だと思って見回すと古墳らしさを発見できます。
広場から見下ろす滑らかな斜面1↓
広場から見下ろす滑らかな斜面2↓
処女塚古墳の中にある史跡
処女塚古墳の東側の斜面には南北朝時代の史跡、『小山田高家の石碑』が建っています。
小山田高家は、1336年の『湊川の戦い』において、この処女塚で討ち死にしたと伝えられている南朝側の武将。
処女塚古墳はずっとずっと昔からこの地にあって、南北朝時代の歴史の一コマでもあったって、なんだか不思議に胸が熱くなります。
菟原処女伝説をくわしく解説
万葉集の中の菟原処女伝説
この伝説が文献に登場するのはまず万葉集。高橋虫麻呂によって歌われています。
万葉集に載るっていうことはそれより前から語り継がれていたっていうことでしょうか。
内容をちょっと詳しく紹介しますね。
芦屋に住んでいる美少女・菟原処女を争って、菟原壮士と血沼壮士が殺し合いの大喧嘩を繰り広げます。
しかし『血沼』ってすごい漢字だな‥。
この状況を憂いた菟原処女は、
「生きていてもどちらとも結婚できません。あの世で待つことにします」
そう言い残して自ら命を絶ってしまいます
( ゚Д゚)‥
すごい罪作りなこと言ってない?
で、この様子を夢に見た血沼壮士は「彼女が好きだったのは俺だったのか」と謎の解釈。あっさりと菟原処女の後を追います。
それを知った菟原壮士は先を越された悔しさに地団駄を踏み、負けるモノかとこれまた命を絶って、あっという間に3人はあの世の人になってしまいました。
なんかもう‥言葉もない。
菟原処女もね、
♪ケンカをやめて~二人をとめて~私のために争わないで~もうこれ以上♪
って、河合奈保子の歌でも歌ってカタルシスを味わいながら、適当にあしらっておけばいいものを、なんで死を選ぶのかな。
遺された3人の身内は、処女塚、東求女塚、西求女塚の3つの塚をつくって3人の死を悼みました。
ケンカにならないようになるべく平等に配置してこんな感じに↓
- 御影塚町の処女塚が真ん中で、もちろん菟原処女のお墓。
- 東に1,500mの住吉宮町に東求女塚で、血沼壮士のお墓。
- 西に2,000mの灘区都通に西求女塚で菟原壮士のお墓
東求女古墳も西求女古墳も史跡として残っていますが、わたしはまだ行ったことがありません。
行ったらまたアップしますね。
処女塚古墳は奈良の昔から有名なだけに、他の場所で名前を語られたりもしています。
なんかね、残された身内も情けなくならなかったのかな。これしきの恋愛沙汰で命落とすなんて純粋というかア〇というか‥。
でも、この『三角関係のモツレの末に全員逝っちゃった』のモチーフの伝説は他にも結構あるんです。
同じく万葉集に『桜児(さくらご)』という伝説が歌われてて、内容は菟原処女とほぼ一緒。
桜児の伝承地は奈良の「大久保神社」と言われています。
そして関東にも似たような伝説があります。
千葉県市川市に『真間手児奈(ままのてごな)』伝承が残ってます。
これは可愛すぎてモテすぎて、男がどんどん寄ってくるので弱っていき、ついには亡くなった‥という話なので『三角関係のモツレ』とはちょっと意味合いが違いますか。
菟原処女も桜児も真間手児奈も万葉集で歌われている話なので、あの時分はこういう話が好まれて流行っていたのかもしれませんね。
『本人に悪気はないのに男を狂わす魔性の女』
これらの伝説のキモはこれかもしれません。
大和物語の中の菟原処女伝説
菟原処女伝説は平安時代にバージョンアップして「大和物語」で紹介されていて、内容が少し詳しくなっています。
菟原処女と菟原壮士は『菟原(今の芦屋)』という里の幼馴染でした。で、血沼壮士は和泉国(今の泉佐野市)の男子。
菟原処女は争い続ける2人の男に「生田川の水鳥に同時に矢を放って、水鳥を仕留めた方と一緒になりましょう」と言います。
ところが、2人の矢は一羽の水鳥の頭と尾に当たる有様で決着がつきません。
困り果てた彼女は生田川に身を投げると、2人の男は、彼女の足と手をそれぞれに持って3人とも生田川に沈んでしまう‥。
( ゚Д゚)…
ここまで2人の男に付きまとわれると生きているのが嫌になるかも‥。
大和物語バージョンだと菟原処女の気持ちもわかるような気がしてきた。
処女塚古墳は本当に菟原処女のお墓なのか?
処女塚古墳は4世紀前半に出来たもの、東求女塚古墳は4世紀後半、西求女塚古墳は3世紀後半。
このあたりの豪族の古墳でしょうね。
東西に3つ並んだ古墳からイメージが膨らんで、菟原処女伝承と関連つけられたのかもしれません。
この記事の参考文献
この記事を書くために参考にした本はこちらです。
菟原処女の伝説地への行き方
場所 | 処女塚古墳 |
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住所 | 〒658-0044 兵庫県神戸市東灘区御影塚町2丁目8−3 |
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アクセス |
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