メリーさんの館とは
「なぁ、なぁ、メリーさんの館、知っとぉ?」
神戸の怖い物好きの間ではよくされる質問なんですよ。
メリーさんの館は六甲山にある、と言われていますね。
霧の夜にだけ現れるとか、朽ち果てた洋館で、羊の頭のはく製が飾ってあったことからメリーさんの館と呼ばれるようになったとか・・・。
そこへ行く道は細く、車では通れないとのこと。
草がぼうぼうで、マムシやスズメバチが生息しているため、館へ行くのは危険という話もよく聞かれますね。
メリーさんの館の話
ある霧の深い夜に1人の男性が車で六甲山を走行していました。
慣れない道のため道に迷ってしまい、しばらく走っていると、灯りのついた洋館を見つけたそうです。
彼は助けを求めて洋館に立ち寄りました。
ノックをしても返事がないので、ノブをそーっと回してみるとカギは開いていました。
「ごめんくださーい」
大きな声で呼んでみましたが、やはり返事はありません。
「道に迷ったんですが、誰かいませんか?」
不思議に思いつつ、男性は2階に上がってみました。
すると突き当りの部屋から何か気配がします。男性は音を立てないように部屋の前まで行き、ドアに耳を付けて中の様子を伺いました。
誰かがいるような気はしますが、はっきりと中の様子は判りません。そうしている内に、今度は後ろで気配を感じたのです。
それは間違いなく人の気配。
ザワザワ…ザワザワ…
たくさんの人が背後で蠢いているのを感じます。
男性は恐怖のあまり振り返ることもできません。しばらくの間、冷や汗を流しながらガタガタと震えていました。
しかしいつまでもそうしていられないので、男性は勇気を振り絞って後ろを振り返りました。
するとそこには、真っ白い顔をした外国人の子供が数十人、いや数百人、廊下から階段に至るまで、びっしりと並んでいたのです。
全ての子供が、虚ろな目で男性をじーっと見つめています。
その光景を見た男性は気を失ってしまいました・・・。
気が付くと男性は草むらの上で倒れていたそうです。洋館は消えており、朽ち果てた門だけが残っています。
何が起きたのか訳が分からず、男性はすぐにその場を立ち去りました。
後で調べてみると、先の大戦中に六甲山の洋館で外国人の子供を収容していたとかいなかったとか…。
後日、記憶を頼りに再度その洋館に足を運びましたが、見つけることはできなかったとのことです。
メリーさんの館の考察
この話は、タレントの稲川淳二さんが何かの番組で語っていた会談です。
わたしが知る限りでは、これが『メリーさんの館』が世に知られるきっかけになったと記憶しています。
神戸は明治の開国とともに外国との交易が始まった土地で、『異人館』に象徴されるように、外国の方が多いです。
ただ、六甲山の洋館で外国人の子供を収容していたという話は聞いたことがありません。
それに六甲山をドライブすれば解りますが、道路は神戸の北区か灘区、西宮市か宝塚市に通じていて、進めば必ず街に出ます。車で迷い込むような道はありません。
脇道のハイキングコースは多いですが、車では入れませんし、霧の深い夜にそんな所を歩くのは考えにくいですね。
これらの観点から、メリーさんの館は稲川淳二さんの創作か、別の話や場所をモチーフにしているのかもしれませんね・・・知らんけど(笑)
メリーさんの館の場所
結論から言うと、メリーさんの館の場所は判りません。
メリーさんの館の存在自体が不明なので当然ですね。
でも男性が体験したように、霧の深い夜にだけ、どこかに現れるのだとしたら・・・
それはそうと、六甲山中にはたくさんの別荘や別荘跡があります。そのような場所のどれかをメリーさんの館と呼ぶ人がいるのかもしれません。
他人の家なので、当然、勝手に入ってはダメですよ。
あ、そうそう。六甲山には野生のイノシシがたくさん生息しているので、夜に行く場合は要注意です。再度山なんかだと、道を徘徊してますよ。